〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「石川啄木 愛と悲しみの歌」山梨県立文学館 <その 2 >啄木行事レポート

<啄木行事レポート>


文学館の塀の上の大きなボード。 

開催にあたって
近藤信行 山梨県立文学館館長
啄木はその人生のなかでおのれをしっかりとみつめ、短歌や散文で表現しています。そこには読者に訴える力があります。…人間洞察と時代感覚をそなえたすぐれた詩人であったとおもいます。
私がはじめて石川啄木の歌に接したのは、昭和21年7月、中学四年生のとき。岩波文庫発売の日に並んで買いました。…いまその『啄木歌集』(斎藤三郎編)をとりだしてみると、表紙はとれてぼろぼろになっています。「己が名をほのかに呼びて/涙せし/十四の春にかへる術なし」。まさにそのとおりであります。


石川啄木
中村稔 日本近代文学館名誉館長
石川啄木ほど誤解され、また、謎にみちた文学者は少ないであろう。
わが国ではじめて自己崩壊の危機に立ち向かいながら、その実存をうたい、近代人の無為と倦怠をうたった歌人であった。
彼はあまりに早く生まれすぎたために時代に適合できなかったのだといってよい。その時代に適合できない場所で、彼の文学は生まれ、彼の天才は時代を駆け抜けたのであった。それ故に彼の文学は時代を超えて今日の私たちの心に迫るのである。
(「企画展図録」より)


文学館はとても印象的な設計。左にある樹木の刈り込みは山々を意識したものだろうか。


◎ 啄木の生涯
寺の住職の子、しかも女子二人のあとに生まれた初めての男子として大切に育てられる。盛岡中学で文学に熱中し、恋をし、青春を過ごす。明星に載ったひとつの短歌を胸に中学を中退し上京。失意の帰郷。結婚。ふるさと渋民小学校で代用教員。そして、北海道漂泊ののち、上京。朝日新聞社校正係として働く。長男の死、妻の病気、母の死。貧困の中、26歳の生涯を閉じる。
写真と資料で啄木の生涯が紹介されている。啄木からの手紙を大事に保存した人たちが数多くいたことは、彼の人柄を表すのだろうか。文字の躍るような筆致、配列の見事さ。書家の榊莫山が「生まれつき天性の造形感覚を持っていた」と、啄木を褒めたというが、本当に美しいと感じた。
直筆ということは、調べれば啄木の指紋もあるのかと思うとワクワクした。

写真で気になったのは、啄木はくせ毛だったのかなということ。右側の毛先が頭の上でくるっと巻いているようにみえる。そんな写真が 2、3 枚あった。