〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木没後100年--啄木人気の秘密と文学と思想(上)


[ザクロ]


啄木没後100年 東北の詩魂と反問/上
  
対談・山折哲雄×三枝※之 大衆をつかんだ「自分」への問い
    [注:三枝※之(さいぐさたかゆき)氏(※は「昴」の「卯」の左側が「工」]
2012年は近代日本を代表する歌人・詩人、石川啄木の没後100年に当たる。東北の地に生まれ、創作と生活に苦闘し、26歳で早世した啄木の作品は、なぜ愛唱され続けるのか。宗教学者山折哲雄さんと歌人の三枝※之さんに、人気の秘密から、啄木の文学と思想を通し見えてくる今の日本の課題まで語り合ってもらった。

  • 三枝 啄木の文学とはどんな出会いでしたか。
  • 山折 啄木作品の読み方は年代ごとに変わってきましたね。…紛れもなく近代の歌人、現代の詩人と思っていた啄木が、実は『万葉集』の世界にもさかのぼるような自然観、宇宙観の中で仕事をした歌人、詩人だと感じたのです。それに気づかせてくれた歌が<不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心>です。…つまり、「空に吸はれし」とは、魂が身体から遊離する「遊離魂」感覚を歌っているのではないかと気づきました。これは挽歌を中心とした万葉歌に見られる身心分離の人間観の根底にあるものです。…啄木は単なる近現代の歌人ではなくて、古代以来の歴史を貫いて受け継がれてきた日本人の重要な感覚を、平易で柔らかい自然体の歌で表現した人なのではと思いました。
  • 三枝 啄木が好きというと恥ずかしくて、斎藤茂吉が好きというと「おっ、プロだな」(笑い)と思われるようなところがあります。
  • 山折 私も年を重ねるにつれ、茂吉のほうが上だと思うようになりましたが、最近は違うんです。特に東日本大震災の後は変わりました。…啄木はすうっと万葉の世界に行ってしまう。日本人の原体験というか、自然との相関の中で作り上げられた世界観、宇宙観へ自然に入っていきます。…啄木ほど作品の中に「心」という言葉を使った歌人はいないのではないでしょうか。これも西行と共通する点です。
  • 三枝 与謝野鉄幹・晶子をはじめ、明治時代の新しい短歌は若者の歌でした。晶子の歌集『みだれ髪』(1901年)から約10年後に出た『一握の砂』の広告を啄木は自分で書きましたが、「従来の青年男女の間に限られたる明治新短歌の領域を拡張して、広く読者を中年の人々に求む」とあります。つまり、これは中年向けの歌だ、と。若者の歌が青春を歌うのに対し、中年の歌は仕事の苦しみ、家族とのあつれき、愛情など生活全般に主題が広がります。自分を取り巻く生活環境の中で感じ、考えたことを表現する近代短歌のテーマの広がりは、啄木に始まるのではないか。啄木の作歌活動は実質わずか3年ですが、その功績は大きいと思います。

 ◇山折さんの推すベスト作品

   不来方のお城の草に寝ころびて
   空に吸はれし
   十五の心
 
   東海の小島の磯の白砂に
   われ泣きぬれて
   蟹(かに)とたはむる
 
   よく怒(いか)る人にてありしわが父の
   日ごろ怒らず
   怒れと思ふ


 ◇三枝さんの推すベスト作品

   こみ合へる電車の隅に
   ちぢこまる
   ゆふべゆふべの我のいとしさ
 
   何となく汽車に乗りたく思ひしのみ
   汽車を下りしに
   ゆくところなし
 
   ふるさとの空遠みかも
   高き屋にひとりのぼりて
   愁ひて下る
(2012-01-04 毎日新聞>東京夕刊)