酒と女と借金と 啄木、釧路76日間
- 駅は、出会いと別れ、喜びや悲しみが行き交う場所でもある。1901(明治34)年開業以来、多くの人が北海道の釧路駅を行き交った。来年没後100年を迎える歌人石川啄木も、そのひとりだった。
- 1908年(明治41)1月21日夜。啄木は、今の場所から南西に数百メートルほどの場所にあった旧釧路駅のプラットホームに立った。明かりも少なく雪が舞う中、歩いて宿に向かう。
さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき
のちに啄木は歌集「一握の砂」で、釧路駅に着いたときの心象を、こう詠んでいる。
- 滞在日数は、わずか76日。ただ、釧路啄木会の北畠立朴会長は「仕事に恋にと、啄木にとって釧路時代は充実した時であったはずです」と説明する。
- 「さいはての駅」の街は、水産の街として勢いづき、釧路駅は道東の玄関口として表情を変えた。釧路は道東の要になると、紙面などで主張していた啄木。北畠会長は言う。「釧路駅の人混みをみたら、啄木は『俺の言った通りだろう』と言うでしょうね」(横山蔵利)
(2011-10-23 朝日新聞)