〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

青春の「白堊の館」

啄木紀行 「一握の砂」百年 朝日新聞連載
7)青春の「白堊の館」文学研究 盛岡一高

「盛岡の中学校の
 露台(バルコン)の
 欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ」

  • 盛岡中の2階建ての校舎は「白堊(はくあ)城」と呼ばれた。それを、啄木は「巨人」と言った。盛岡中で過ごした5年間で、文学に没頭し、妻・節子と出会った。
  • 盛岡中は盛岡一高となった。文学研究部の部員は18人。不定期に出す部誌は「爾伎多麻(にぎたま)」。盛岡中時代に啄木が作った回覧雑誌の名前だ。

(2010-12-21 朝日新聞>マイタウン>岩手)