啄木の息

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

石川啄木 著(P.96〜97)おどけたる手つきをかしと

[サクラ]


煙 一


(P.96)


   おどけたる手つきをかしと
   我のみはいつも笑ひき
   博学の師を


   自が才に身をあやまちし人のこと
   かたりきかせし
   師もありしかな


<ルビ>自=し。才=さい。


(P.97)


   そのかみの学校一のなまけ者
   今は真面目に
   はたらきて居り


   田舎めく旅の姿を
   三日ばかり都に曝し
   かへる友かな


<ルビ>三日=みか。都=みやこ。曝し=さらし。
 

石川啄木 著(P.94〜95)愁ひある少年の眼に羨みき


[キンカン]


煙 一


(P.94)


   愁ひある少年の眼に羨みき
   小鳥の飛ぶを
   飛びてうたふを


   解剖せし
   蚯蚓のいのちもかなしかり
   かの校庭の木柵の下


<ルビ>愁ひ=うれひ。解剖=ふわけ。蚯蚓=みみず。木柵=もくさく。下=もと。


(P.95)


   かぎりなき智識の欲に燃ゆる眼を
   姉は傷みき
   人恋ふるかと


   蘇峯の書を我に薦めし友早く
   校を退きぬ
   まづしさのため


<ルビ>智識=ちしき。欲=よく。傷みき=いたみき。蘇峯=そほう。校=かう。
 

石川啄木 著(P.92〜93)神有りと言ひ張る友を


[くもとあめ]


煙 一


(P.92)


   神有りと言ひ張る友を
   説きふせし
   かの路傍の栗の樹の下   


   西風に
   内丸大路の桜の葉
   かさこそ散るを踏みてあそびき


<ルビ>神=かみ。路傍=みちばた。下=もと。内丸大路=うちまるおほぢ。


(P.93)


   そのかみの愛読の書よ
   大方は
   今は流行らずなりにけるかな


   石ひとつ
   坂をくだるがごとくにも
   我けふの日に到り着きたる


<ルビ>大方=おほかた。流行らず=はやらず。到り=いたり。


《つぶやき》
『一握の砂』序文の藪野椋十さんの「さうぢや、そんなことがある、斯ういふ様な想ひは、俺にもある。二三十年もかけはなれた此の著者と此の讀者との間にすら共通の感ぢやから、定めし總ての人にもあるのぢやらう。」を、ついつい何度も読み返す。
〈路傍の栗の樹の下〉、〈かさこそ散るを〉、〈今は流行らず〉、〈けふの日に到り着き〉などの言葉に「さうぢや、さうぢや」と深く頷く。

石川啄木 著(P.90〜91)今は亡き姉の恋人のおとうとと


[バラ]


煙 一


(P.90)


   今は亡き姉の恋人のおとうとと
   なかよくせしを
   かなしと思ふ


   夏休み果ててそのまま
   かへり来ぬ
   若き英語の教師もありき



<ルビ>来ぬ=こぬ。


(P.91)


   ストライキ思ひ出でても
   今は早や吾が血躍らず
   ひそかに淋し


   盛岡の中学校の
   露台の
   欄干に最一度我を倚らしめ


<ルビ>早や=はや。吾が血=わがち。躍らず=をどらず。露台=バルコン。欄干=てすり。最一度=もいちど。倚らしめ=よらしめ。


《つぶやき》
「盛岡の中学校の」の歌。
倚るところ、倚れるところ、倚ってもガッシリと支えてくれるところに我を置きたい。心の中に心棒のようなものを持っていたい。啄木にとっての倚るところは、盛岡中学校の露台であったのだろうか。

石川啄木 著(P.88〜89)城址の


[マメガキ]


煙 一


(P.88)


   城址
   石に腰掛け
   禁制の木の実をひとり味ひしこと


   その後に我を捨てし友も
   あの頃はともに書読み
   ともに遊びき


<ルビ>城址=しろあと。木の実=このみ。味ひ=あぢはひ。後=のち。書=ふみ。


(P.89)


   学校の図書庫の裏の秋の草
   黄なる花咲きし
   今も名知らず


   花散れば
   先づ人さきに白の服着て家出づる
   我にてありしか



<ルビ>図書庫=としよぐら。先づ=まづ。出づる=いづる。



《つぶやき》
「学校の図書庫の裏の秋の草」の歌。
「黄なる花」の名は何だろうとずっと気になっていた。探してみたら、「石川啄木必携」(注)の啄木歌集全歌評釈に、【「黄なる花」は「きれんげ」「こがねばな」と呼ばれる「都草」のことであろう。】と書いてあった。ネットで検索したところ、驚いたことに三つとも全然別の花がヒットした。
「きれんげ」は、キレンゲショウマの略らしく、花は下向きに咲いた蓮のようである。またレンゲツツジのこともキレンゲというらしい。とても華やかな雰囲気の花だ。
「こがねばな」は、シソ科のタツナミソウ属で花の色は濃い紫。
「都草」(みやこぐさ)は、マメ科でエンドウの花に似た爽やかな黄色である。
三つを見比べてみて、わたしの個人的な希望(?)では、「都草」がいいなと思った。


 (注)「別冊国文学No.11 石川啄木必携」岩城幸徳・編 學燈社 1981年11月

石川啄木 著(P.86〜87)晴れし空仰げばいつも


[晴れし空仰げば]


煙 一


(P.86)


   晴れし空仰げばいつも
   口笛を吹きたくなりて
   吹きてあそびき


   夜寝ても口笛吹きぬ
   口笛は
   十五の我の歌にしありけり



(P.87)


   よく叱る師ありき
   髯の似たるより山羊と名づけて
   口真似もしき


   われと共に
   小鳥に石を投げて遊ぶ
   後備大尉の子もありしかな


<ルビ>後備大尉=こうびたいゐ。


《つぶやき》
「晴れし空仰げばいつも」と「夜寝ても口笛吹きぬ」の歌。
1969年の第1作「男はつらいよ」の中で、マドンナの光本幸子が「口笛は/幼き頃の我が友よ/吹きたくなれば吹きて遊びき」と、ほろ酔いでつぶやく。脚本家や監督に聞かないとはっきりはしないが、啄木の歌が頭のなかにあったのではないだろうか。

石川啄木 著(P.84〜85)師も友も知らで責めにき


[キンミズヒキ]


煙 一


(P.84)


   師も友も知らで責めにき
   謎に似る
   わが学業のおこたりの因


   教室の窓より遁げて
   ただ一人
   かの城址に寝に行きしかな


<ルビ>因=もと。遁げ=にげ。城址=しろあと。


(P.85)


   不来方のお城の草に寝ころびて
   空に吸はれし
   十五の心


   かなしみといはばいふべき
   物の味
   我の嘗めしはあまりに早かり


<ルビ>不来方=こずかた。


《つぶやき》
不来方のお城の草に寝ころびて」の歌。
わたしの修学旅行は不来方城だった。あのころ気になる人がいた。その人を含む集団を目の隅で追いながら、わたしは友だちとふたり芝生に寝ころんでいた。光の色や風の匂いがいま浮かんでくる。

石川啄木 著(P.82〜83)己が名をほのかに呼びて


[アキノノゲシ]


煙 一


(P.82)


   己が名をほのかに呼びて
   涙せし
   十四の春にかへる術なし


   青空に消えゆく煙
   さびしくも消えゆく煙
   われにし似るか


<ルビ>己=おの。術=すべ。


(P.83)


   かの旅の汽車の車掌が
   ゆくりなくも
   我が中学の友なりしかな


   ほとばしる喞筒の水の
   心地よさよ
   しばしは若きこころもて見る


<ルビ>喞筒=ポンプ。


《つぶやき》
「己が名を」の歌は、「ほのか」に呼ぶということばの使い方にしびれる。漢字で表すと「仄か」となるかもしれないが、啄木はひらがなで書いた。「がんだれ」に「人」なんて文字を使うと、この歌から大きく外れてしまうような気がする。まるみのあるふわっとしたひらがなのなかに啄木の心が入っていると感ずる。自分の「十四の春」もほのかに浮かぶ。

石川啄木 著(P.80〜81)「煙 一」病のごと


[イヌタデ]


煙 一


(P.80)



   (白紙)



(P.81)




       




   病のごと
   思郷のこころ湧く日なり
   目にあをぞらの煙かなしも


<ルビ>病=やまひ。思郷=しきやう。

石川啄木 著(P.78〜79)やとばかり


[ガマズミ]


我を愛する歌


(P.78)


   やとばかり

   桂首相に手とられし夢みて覚めぬ

   秋の夜の二時









(P.79)


 


  (タイトルのみ)


《つぶやき》

この【『一握の砂』東雲堂版】というカテゴリーを作ったのは、落ち着いて『一握の砂』を隅から隅まで読み直してみたいという願望からです。読むだけではなく一語一語打ち込み、思ったことがあったら《つぶやき》として書き込んでみようと考えました。

一年三か月かけて「我を愛する歌」が終了し、「煙」に入ります。序文を書いているときすでに、読み終わる日はくるのかと心配でした。しかし、始めてしまえばいつか終わりがくるでしょう。啄木の人生とも縒り合わせながらゆっくり読み進みます。