〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木文学散歩

 石川啄木と足尾鉱毒事件の田中正造

啄木文学散歩・もくじ (「啄木の息HP 2009年初春」からの再掲) 栃木県佐野市 石川啄木と足尾鉱毒事件の田中正造 足尾銅山の鉱毒問題に生涯をかけた田中正造の足跡を訪ね、正造の墓と石川啄木の歌碑のある「佐野厄除け大師」に初詣した。 1 佐野市郷土博物…

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <7 (おわり)>

啄木文学散歩・もくじ 7 「僕の心は凾館の空に彷徨ふ」 「市電「谷地頭駅」終点」 「なみだは重きものにしあるかな─啄木と郁雨─」遊座昭吾 編 宮崎郁雨「歌集『一握の砂』を讀む」 明治四十四年一月十七日(火曜日) (二四) 僕が啄木と初めて會つたのは四…

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <6>

啄木文学散歩・もくじ 6 「石川啄木一族の墓」 「“石川啄木一族の墓”を示す木柱」 車は冬期通行止めになっているが、徒歩は大丈夫。 この先に駐車場があるが一台も車はなかった。 施設整備や除雪用の車だけが通っていた。 「石川啄木一族の墓の説明」 石川…

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <5>

啄木文学散歩・もくじ 5 立待岬の歌碑「与謝野鉄幹・晶子」と「宮崎郁雨」 「立待岬の端にある与謝野寛・晶子の歌碑(中央の白い四角が歌碑説明板)」 「石川啄木と有島武郎 〜遙かなる夢の残像〜」北村巌 明治35年10月1日、啄木の短歌一首が『明星』に石川…

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <4>

啄木文学散歩・もくじ 4 函館市文学館 「函館市文学館 煉瓦及鉄筋コンクリ−ト造3階建て」 この建物は、大正10年(1921年)に第一銀行函館支店として建設されたもので煉瓦及鉄筋コンクリ−ト造3階建てです。 昭和39年(1964年)に同銀行が移転し、株式会社…

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <3>

啄木文学散歩・もくじ 3 啄木住居跡・函館の啄木年譜 「石川啄木居住地跡の説明板」 同人たちとの気の置けない交流は、これすべて青柳町でなされたのである。現在の函館公園正面入口前の道路(今は公園通りとも啄木通りとも呼ばれる)を斜めに挟んでの互い…

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <2>

啄木文学散歩・もくじ 2 啄木小公園この公園は、哀愁テーマパーク「土方・啄木浪漫館」に隣接している。 「大森浜から見る立待岬」 尖端の低くなったところに啄木一族の墓がある。 「あずまやの屋根の右端下に啄木像」 岬の右端の一段高いところが函館山。 …

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <1>

啄木文学散歩・もくじ 1 哀愁テーマパーク「土方・啄木浪漫館」(石川啄木函館記念館) 函館と啄木の関わりは、函館の文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」によって始まりましたが漂泊生活の出発ともなった函館生活の132日間は、彼の26年の生涯にとって最…

函館落ちした啄木、市立図書館、函館公園、一族墓 <1>

啄木文学散歩・もくじ (「啄木の息HP 2001年夏」からの再掲)◯函館落ちした啄木「空からの函館」 こんもりと緑の山が函館山。左下に突き出ているのが大鼻岬。海岸線がずっと右下に延びて曲がったところが立待岬で啄木一族の墓がある。 「何か働く職が得られ…

東京都北区 赤レンガ図書館で「石川啄木の日記を読み解く」

啄木文学散歩・もくじ 東京都 北区立中央図書館 ドナルド・キーンコレクションコーナーのある赤レンガ図書館 パネル展「石川啄木の日記を読み解く」--ドナルド・キーン 「砲兵工廠の赤レンガ倉庫」が「赤レンガ図書館」に 1905年(明治38)当時、小石川にあ…

湯島天神の梅まつりと石川啄木の通った坂道 東京都:文京区

啄木文学散歩・もくじ 湯島天神の梅 「湯島天神の境内」湯島天神の梅まつりは1958年(昭和33)から開催され、今年でちょうど60回目。とても賑わっていた。 梅まつりの期間は2月8日から3月8日まで、入園無料で楽しめる。 期間中はイベントがたくさんある。神…

2016年暮れ「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 <4>-おわり-

啄木文学散歩・もくじ 4 「石川啄木 終焉の地」2016年暮れの様子 <動画 90秒>歌碑と顕彰室のある「石川啄木 終焉の地」 (近隣の工事の音が入っています。音声はありません) *グループホーム「いつつ星」1階の一部が「石川啄木顕彰室」 *その隣りにあ…

2016年暮れ「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 <3>

啄木文学散歩・もくじ 3 「石川啄木終焉の地歌碑」 都会の一隅 静かな佇まい「石川啄木終焉の地歌碑」 啄木最後の日記「千九百十二年日記」 1912年(明治45年) 二月二十日(火) 日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめ…

2016年暮れ「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 <2>

啄木文学散歩・もくじ 2 「石川啄木顕彰室」 石川啄木顕彰室と歌碑 小石川区久堅町74番地46号(現・東京都文京区小石川5-11-7) 1911年(明治44年)8月7日、啄木は喜之床の二階からこの地の借家に移り、翌1912年4月13日午前9時30分に病没するまで居住した。…

2016年暮れ「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 <1>

啄木文学散歩・もくじ 1 「石川啄木終焉の地」今昔 歌碑・顕彰室のある通り 手前のビル1階の一部が「石川啄木顕彰室」 通りに面して「石川啄木終焉の地歌碑」 隣りの白いビルが「石川啄木終焉の地」 2015年3月22日、このように「石川啄木終焉の地歌碑」と「…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <10(おわり)>

啄木文学散歩・もくじ 10 鹿角市役所の啄木詩碑、交響詩『鹿角へ、わが故郷へ』作詞 石川啄木 グッと近寄って「石川啄木詩碑」(鹿角市役所) ◎現代文訳 鹿角の国を懐ふ歌 石川啄木 青い山々に囲まれている 遙か鹿角の国を回想していると 感動の涙が流れてき…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <9>

啄木文学散歩・もくじ 9 鹿角市役所前庭にある「石川啄木詩碑」 鹿角市役所前矢印の下、緑の中に長方形の啄木詩碑がある。 啄木詩碑よく手入れされた庭園。大きな鯉の泳ぐ池の畔にある 堂々たる風格縦0.9m、横2.2m、奥行0.3m。 発表◎「明星」 1906(明治39)…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <8>

啄木文学散歩・もくじ 8 錦木塚展示室の石川啄木 秋田県鹿角市錦木地域活動センター(錦木塚歴史公園内) 展示室は鍵の閉まった部屋になっているので、係の人に解錠していただき見学する。 無料。 プロローグ ここ錦木の里は、古くからみちのくの歌枕として…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <7>

啄木文学散歩・もくじ 7 錦木塚歴史公園 啄木は伝説を聞き作品をつくる 「錦木塚歴史公園」の広い敷地を区切るこの門が「錦木塚」への入口 錦木塚伝説今から千数百年前のこと、錦木のあたりに政子姫という娘がいた。錦木を売る若者が政子姫を見て心の底から…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <6>

啄木文学散歩・もくじ 6 鹿角市立花輪小学校と田中正造と石川啄木 秋田県鹿角市立花輪小学校足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造(1841-1913)が、かつて勤めていた花輪支庁舎跡に建つ学校。 右上に写っている松の枝は田中正造のいた時代のもの。 田中正造は…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <5>

啄木文学散歩・もくじ 5 啄木の姉サダの葬儀を行った『鏡得寺』 曹洞宗瀧澤山 『鏡得寺』山門 背後に山を背負い、木立も豊かな『鏡得寺』。 ここは啄木の姉サダの葬儀が行われた寺である。 啄木の母カツに縁のある常照寺からみると、6kmほど北、東北道小坂IC…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <4>

啄木文学散歩・もくじ 4 「『康楽館』の歌舞伎」を啄木の姉夫妻は……… 「明治百年通り」「小坂鉱山事務所」「康楽館」など重要文化財の建築物が立ち並ぶ遊歩道。 アカシアと桜の並木に、はためく幟が美しい。 明治の芝居小屋「康楽館」康楽館は1910(明治43)…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <3>

啄木文学散歩・もくじ 3 「郷土館」にて ── 啄木の姉夫妻が小坂にいた頃 小坂町立総合博物館『郷土館』鉱山と湖のまち小坂の歴史・文化を中心に展示している。 田村叶・サダ(啄木の姉)夫妻が小坂鉱山に転職した1904(明治37)年の翌年、小坂鉱山は、資本金…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <2>

啄木文学散歩・もくじ 2 啄木の姉サダの夫が働いた「小坂鉱山」の事務所」 小坂鉱山事務所 秋田県鹿角郡小坂町の小坂鉱山は、江戸末期に発見された。 ヨーロッパの進んだ技術が導入され、黒鉱自熔製錬法の完成と露天掘によって、銀山から銅山に生まれ変わり…

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <1>

啄木文学散歩・もくじ 秋田県鹿角市縦に長い四角形をした秋田県。その北東部に鹿角市(かづのし)はある。日本海と太平洋から一番遠く、冬は寒さが厳しい。東は岩手県、北は青森県と接していて十和田湖が近い。 この静かで美しい東北の町に、石川啄木の縁を…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その12(おわり)>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 常光寺-4 常光寺 歴代住職の墓地 葛原対月の墓について 『啄木の母方の血脈──新資料「工藤家由緒系譜」に拠る』 編集 森 義真 佐藤 静子 北田 まゆみ 2008年5月11日発行 対月の墓は、青森県上北郡野辺…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その11>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 愛宕公園-4ハマナスの赤い実 「石川啄木と野辺地町」 今井輝夫 啄木歌碑建設の会常任理事 啄木の日記や手紙を読むとき、そして、啄木の生涯を考えるとき、野辺地町が啄木にとっていかに大きな存在であ…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その10>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 愛宕公園-3歌碑の向こうに見える野辺地町と野辺地湾 愛宕公園から見る海は意外に近い。 啄木の野辺地訪問 書簡より(『石川啄木全集 第七巻』 筑摩書房) *書簡のため、実際に訪れた日とは異なってい…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その9>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 愛宕公園-2歌碑を示す標柱 右後ろにあるのが啄木歌碑。 『啄木文学碑紀行』浅沼秀政 著青森県野辺地町・愛宕公園の歌碑 啄木の母カツの兄は葛原対月という曹洞宗の僧で、父一禎の師僧でもあった。対月…

「青森の海を臨む 石川啄木歌碑」 <その8>

啄木文学散歩・もくじ 青森県上北郡野辺地(のへじ)町 愛宕公園-1愛宕公園入口 野辺地町愛宕公園は、1884年(明治17)に町を一望できる高台に造られた。 一禎が野辺地を訪れたのは、1879年(明治12)だから、まだこの公園は造られていなかった。 石川啄木…