〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木・白秋・茂吉 三冊の歌集が現代短歌に与えた巨大な影響

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アジサイ

毎日文化センター 講座

近代短歌の青春 啄木・白秋・茂吉

・講師:関西大学名誉教授 鵜飼康東
・講座タイプ:公開講座

・コース 2019年7/16、8/20、9/17の各火曜13:30~15:00

・受講料 全3回7,460円
・開催地 大阪

  • 日本語の思想的な深さ、音感の強さ、および律動の美しさを作り上げた石川啄木北原白秋、齋藤茂吉の作品を取り上げます。
  • 明治41年(1908年)5月2日、22歳の青年が陸軍省医務局長・陸軍軍医総監・森鴎外の私邸を訪問しました。鴎外が主宰していた歌会に出席するためです。石川啄木(1886-1912)です。彼はそこで北原白秋(1885-1942)という一歳年長の美青年に会います。
  • 啄木は明治43年(1910年)12月に歌集『一握の砂』を刊行し、大正2年(1913年)、詩人白秋は歌集『桐の花』を、医師茂吉は歌集『赤光』を出版します。
  • この三冊の歌集が現代短歌に与えた巨大な影響を、歌人で経済学者の講師がやさしく解説します。

 

毎日文化センター

 


「姫神山登山 啄木記念館で啄木学習」など 遠足や修学旅行も

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アジサイ

秋田)市民の「学校」20年で区切り 鹿角市

  • 秋田県鹿角市で地方の視点から文化活動を続けてきた「尋常浅間学校かづの分校」が開校から20年を迎え、記念誌を発行した。20年を区切りとして「閉校」するが、関係者らは新たな活動を模索している。
  • 本校の「尋常浅間学校」は長野県松本市浅間温泉の神宮寺に1997年に開校。「分校」は99年に開校した。学校といっても、決まった校舎があるわけではない。校則は「楽しく学び、心がホカホカになること」。入学資格は国籍や宗教、年齢など一切問わなかった。補助金など支援を受けることはなく「お上に頼らない」姿勢を一貫させた。
  • 「教室」の外にも飛び出した。「姫神山登山の後は、啄木記念館で啄木学習」などテーマを決めた遠足や修学旅行も続けてきた。
  • 「お名残コンサート」として7月20日、文化の杜(もり)交流館コモッセで、音楽ユニット「六文銭」のコンサートを開く。メンバーの小室等さんは過去2回分校で音楽の授業を担当した。前売り券3千円。20年間の活動を掲載した記念誌「キラキラ輝いて20年」は送料込み1360円。いずれも問い合わせは高木さん(0186・37・3070)へ。(加賀谷直人)

(2019-06-05 朝日新聞

 

秋田)市民の「学校」20年で区切り 鹿角市:朝日新聞デジタル

 

 


釧路に啄木歌碑 建立 幸町公園

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啄木歌碑 幸町公園で除幕式 釧路市

  • 除幕式が8日行われた。

(2019-06-09 釧路新聞

 

釧路新聞~釧路と根室地域のニュースをお届けするウェブサイト!~

 

 


「はたらけど はたらけど…」老後は自己責任 !?

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アジサイ

地軸

老後「自己責任」

  • 長生きすればするほど大変になる―。こんな思いを抱いた人も多いだろう。金融庁が先日公表した報告書は、老後の生活は年金を当てにせず、資産運用でカバーするよう説いている。
  • 95歳まで生きるには夫婦で2千万円の蓄えが必要という。「公的年金財政は100年安心」と国は触れ込んできたはずなのに。誰もが安心して長生きできる社会づくりこそが国の役割であり、自己責任を強調するのは違和感がある。
  • 「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」(石川啄木)。高齢になってまで、こんな思いをさせるのはあんまりだ。

(2019-06-06 愛媛新聞

 

https://www.ehime-np.co.jp/article

 


「不来方のお城の草に寝ころびて…」など マンホールデザイン選定

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レンゲツツジ

盛岡市デザインマンホール
 市県のキャラや紋で 市制130年に1種選ぶ

  • 盛岡市上下水道局は、市制施行130周年を記念した下水道デザインマンホールを製作する。業者が提案した4種類のデザインから、今後実施する街頭アンケートなどで一つを選定。カラーのものを盛岡市役所敷地内2カ所、黒色のものを市内127カ所に11月以降設置し、市民を挙げて記念すべき年を祝う機会とする。
  • デザインは▽さんさ踊り公式マスコット「さっこちゃん」と県のPRキャラわんこきょうだいの「とふっち」▽盛岡城跡公園の石垣と啄木の短歌、とふっち▽盛岡三大麺の冷麺、じゃじゃ麺、わんこそば▽南部家の家紋「向鶴」と南部鉄器のアラレ文様、市制施行130周年記念ロゴマーク―の4種類。
  • デザインの街頭アンケートを8日に実施。複数のデザイン図案を掲載したパネルを市民に提示し、好きなデザイン図案一つを選んでもらう。決定したデザインは、今後の市の定例記者会見で発表する。

(2019-06-05 盛岡タイムス)

 

盛岡タイムス Web News

 


 

随所にある啄木歌碑 -釧路のまちなみ散歩-

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ハルガヤ

釧路の歴史訪ねる

 市立博物館「まちなみ散歩」

  • 郷土が発展してきた歴史の「足跡」を訪ね歩く、釧路市立博物館の「まちなみ散歩」が2日、釧路発祥の地である同市の米町周辺で行われた。
  • 眼下に釧路川河口が広がる米町公園に集合した参加者には、1932年に刊行された市街地図と現在の住宅地図が手渡された。
  • 参加者は、随所に建てられた石川啄木の歌碑や、アイヌ民族と和人が交易した「久寿里(くすり)会所跡」の記念碑などを訪ねた。(宮永敏明)

(2019-06-03)朝日新聞

 

釧路の歴史訪ねる:朝日新聞デジタル

 


“天才であり 落ちこぼれ” だから歌が浮ついていない 「啄木祭」 

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アケビ

遺徳偲び「啄木祭」/岩手・盛岡市

  • 歌人石川啄木の遺徳を偲ぶ恒例、「啄木祭」が1日、岩手県盛岡市で行われました。地元、小中学校の演奏や女性コーラスグループが、啄木作詞の楽曲を披露。
  • その後、行われた対談には盛岡市在住で、おととし芥川賞を受賞した小説家の沼田真佑さんが登場。若いころは啄木を意識していたというエピソードを交えながら、自身の文学観について語り、訪れた人たちは文学に触れ合うひとときを過ごしていました。

(2019-06-02 IBC岩手放送

 

 動画あり

遺徳偲び「啄木祭」/岩手・盛岡市 | IBC NEWS

 


 

啄木の魅力を伝える 沼田さんら対談

  • 盛岡市出身の歌人石川啄木を顕彰する啄木祭は1日、同市渋民の姫神ホールで開かれた。約500人が来場。同市の芥川賞作家沼田真佑さんらが啄木の魅力を語り合い、文学の奥深さを伝えた。
  • 沼田さん、石川啄木記念館の森義真館長ら3人が座談会形式で会話を繰り広げた。沼田さんは啄木の印象について「真っ先に思い浮かぶのは『駆け抜けた』というイメージ」と表現。
  • 多くの人に愛される作品に「天才であり、同時に自らを落ちこぼれとも分かっていたと思う。だからこそ歌が浮ついていない。恨み節もなく、大きなものに向き合っている男だと感じる」と思いを寄せた。

(2019-06-02 岩手日報

 

啄木の魅力を伝える 沼田さん(芥川賞作家)ら対談 | 岩手日報 IWATE NIPPO

 


クマさんが はたらけど はたらけど……

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アケビ

NISSHINBO のコマーシャル

 おすわり篇「はたらけど」

 

石川啄木

「はたらけど/はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり/ぢっと手を見る」

をモチーフに。

 

 

オチまでいくと、つい笑ってしまう!

 

ため息ついてるし…。

 

NISSHINBO CM | 日清紡スペシャルサイト <クマーシャル劇場>

 


岩手山を切り絵で表現 石川啄木記念館 〜9/16

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オリーブ

目で楽しむ啄木の短歌 盛岡の記念館

  • 盛岡市渋民の石川啄木記念館で、「啄木のうた 柴田外男の世界」が開かれている。色鮮やかなポスターや絵はがきなどが並ぶ。9月16日まで。
  • 作者のグラフィックデザイナー柴田外男さんは一戸町在住。岩手を題材にした作品の中から啄木に関係する50点を選んだ。
  • 歌集『一握の砂』の一首「汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも」は故郷に近づく喜びと緊張感を詠んだ歌。柴田さんは薄緑を背景に、車窓から見える岩手山を切り絵で表現した。
  • 7月27日、28日には柴田さんによる切り絵のワークショップがある。問い合わせは同館(019・683・2315)へ。(太田原奈都乃

(2019-05-29 朝日新聞

 

目で楽しむ啄木の短歌 盛岡の記念館:朝日新聞デジタル

 


ZARDのボーカル・坂井泉水さんと“啄木”との共通点

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ウワミズザクラ

ありふれた言葉だからこそ強く尊い
―― 没後12年、人々の魂を揺さぶり続けるZARD坂井泉水の世界

  • ZARDのボーカル・坂井泉水さんが亡くなって今年の5月27日で12年になる。享年40。1991年にデビューして、代表曲「負けないで」などは今もカラオケの定番ソングとして親しまれている。まさに平成を駆け抜けたアーティストだった。彼女の素顔、今も歌い継がれる理由を探った。
  • 1991年デビューシングル「Good-bye My Loneliness」の売り上げ枚数は約25万枚。164万枚を突破した最大のヒット曲「負けないで」は、恋愛・応援ソングとして今なお国民的な人気を博している。亡くなってから12年経った今も、坂井さんの歌はなぜ人々の胸を打つのだろうか。

石川啄木との共通点

  • 歌手デビューする前から文章を書くことが好きだった坂井さんは、歌人石川啄木のファンだったという。啄木の短歌を現代語に翻訳した『石川くん』などの著作がある歌人枡野浩一氏は、坂井さんの歌詞を「心から思っていることをそのまま言葉にしている」とみる。刺激的なものは皆無で、ほとんどが無味無臭、匿名性の高いものだという。
  • 「きっと本人も優しくて、控えめな人だったのではないでしょうか。既存のものに対するアンチもないし、素直に『負けないで』と思っていたのでしょう。私はこれだけピュアな詞を書くのは難しいと思う。本心でなければ、かえって不自然なものになってしまいますから」
  • 坂井さんの歌詞で使われる言葉は、毒づいたものはなく、はやりものでもない。ありふれたものだが、枡野氏はそこに啄木との共通点も見いだす。「啄木も人間としてまっすぐで、自分の気持ちをそのまま素直に書いていた人でした。だから、啄木のような短歌をさあ作れと言われても難しいです。坂井さんが啄木に惹(ひ)かれていたのはとてもよく分かる気がします」(ライター・伏見学/写真・菊地健志/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(2019-05-25 Yahoo!ニュース 特集)

 

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