◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02
港文館前の石川啄木像(2018年)
釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <1>
(「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
・写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
・歌碑めぐりの「1~25」の数字は、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。
啄木歌碑・記念碑マップ 釧路文学館編集(2018年)
釧路は霧の街。太陽があると思っているうちに港の向こうからサーッと音立てるように濃霧がやってきました。そして、大雨。キャッツアイのように変わる天気のなか、そこここの啄木像や歌碑は濡れて乾き、また雨粒をキラキラさせていました。
啄木は、1908年(明治41)1月21日から4月5日までの76日間釧路に滞在し、22歳の若い記者として釧路新聞の三面主任を任されました。実質的には編集長格として活躍し、月給は25円でした。「釧路詞壇」を設け、政治評論「雲間寸観」も連載しました。
港文館2階から見る啄木像
(釧路川の船をバックに立つ 本郷 新 制作。川向こうのフィッシャーマンズワーフも薄く見える)
釧路市にお住まいの啄木研究家・北畠立朴さんの冊子によりますと、釧路市は2006年6月1日現在、盛岡市に次いで全国第二位・26基の啄木歌碑数を誇っています。
霧の向こうに見え隠れする啄木の姿を追いながら、美しい街を歩きました
(2005年10月11日、阿寒町と合併、阿寒町の歌碑1基を含めて 26基。ちなみに2006年1月10日、盛岡市は玉山村と合併し 68基あり、全国一位)
港文館2階からの釧路川と啄木像(2018年)
明治四十一年日誌
一月二十一日
於釧路
午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗つた。程なくして枯林の中から旭日が赤々と上つた。空知川の岸に添うて上る。此辺が所謂最も北海道的な所だ。
石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真に譬ふるに辞なき大景である。汽車は逶迤たる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半此釧路に着。
停車場から十町許り、迎へに来た佐藤国司氏らと共に歩いて、幣舞橋といふを渡つた。浦見町の佐藤氏宅に着いて、行李を下す。秋元町長、木下成太郎(道会議員)の諸氏が見えて十二時過ぐる迄小宴。
(1908年・啄木日記)
(つづく)