〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木と大逆事件 裁判資料を借り筆写した啄木の姿を紹介

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[カツラ]

和歌山・新宮で大逆事件サミット 名誉回復、顕彰活動を報告

  •  サミットには約230人が参加。国際啄木学会の伊藤和則理事が「石川啄木大逆事件」と題し、裁判資料を借り筆写し、事件に関する作品を熱心に作っていた啄木の姿を紹介。各団体からは「事件関係者の書簡をまとめ、本にした」などの活動成果が報告された。

(2018-10-06 共同通信

和歌山・新宮で大逆事件サミット 名誉回復、顕彰活動を報告 | 共同通信 - This kiji is

「日本刀と石川啄木直筆作品展」奥州市

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[ツルウメモドキ]

 

古刀や掛け軸20点、奥州文庫特別展 啄木の書も

奥州市胆沢南都田の奥州文庫刀剣美術館2018年特別展「日本刀と石川啄木直筆作品展」は、同館で開かれている。

(2018-10-05 岩手日日新聞)

古刀や掛け軸20点 奥州文庫特別展 啄木の書、油絵も|Iwanichi Online 岩手日日新聞社

 

奥州文庫刀剣美術館

・開催期間:2018年10月1日(月)~12月2日(日)
・開館時間:午前9時~午後4時
・入館料:無料
・主催・会場:奥州文庫刀剣美術館(岩手県奥州市胆沢南都田字小十文字123)
・展示内容:岩手県生まれの歌人・詩人 石川啄木。当館の調査に基づいた氏の作品をメインに展示。また当館所蔵の日本刀の展示も随時行っております。
  
 (※ご来場の際は念のため、館連絡用電話(080-1694-1234)に開館有無をお問い合わせ下さい)

宮城県美術刀剣保存協会)

宮刀保公式サイト - ホーム - 宮城県美術刀剣保存協会 miyagiokatana.com

「やはらかに柳あをめる…」啄木 第1号歌碑設置の背景

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[ハギ]

 

啄木歌碑への熱意 紹介…学生ら奮闘、手紙や写真80点
 1922年、盛岡に第1号設置

  •  盛岡市出身の歌人石川啄木(1886~1912年)の最初の歌碑が古里に建てられた背景を紹介する企画展「啄木第一号歌碑建立物語~無名青年たちの奮闘~」が2日、盛岡市渋民の石川啄木記念館で始まった。
  •  同館の調べによると、啄木に関する歌碑は全国に183基建てられた。最初の歌碑は、岩手出身の大学生らが啄木の業績を後世に残そうと、1922年4月、故郷の渋民村(現・盛岡市)の北上川沿いに設置。石碑の表面には「やはらかに柳あをめる 北上の岸邊目に見ゆ 泣けとごとくに」と、古里の風景を詠んだ代表的な短歌が刻まれている。
  •  設置を目的に発足し、宮沢賢治らも名を連ねた「啄木会」の趣意書や、親友の言語学者金田一京助らが資金調達のために協力した文芸講演会の計画を伝える手紙など、貴重な文献も並ぶ。森義真館長は「第1号の歌碑が建てられた背景を知った上で、渋民公園にある歌碑を改めて見てほしい」としている。
  •  来年1月20日まで。問い合わせは同館(019・683・2315)へ。

(2018-10-04 読売新聞)

 

啄木歌碑への熱意 紹介…学生ら奮闘、手紙や写真80点 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <3>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <3>

  • 「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
  • 写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影
  • ここから始まる「1~25」のナンバーは、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。また、2018年釧路文学館編集の「啄木歌碑・記念碑マップ」も全て同じ順序で並んでいる。

 

1 釧路停車場跡 交流ブラザさいわい前

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 釧路観光協会の「石川啄木文学コース マップ」で見ると、この歌碑だけが釧路川の北側にある。ほかは全部、南側になる。
 右に見える案内プレートに「明治34年(1901)釧路に鉄道開通。啄木が「さいはての駅に下り立ち」とうたったのはこの場所である」と表示されている。

 

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浪淘沙


ながくも聲をふるはせて


うたふがごとき旅なりしかな


 所在地 釧路市幸町9-1


 建立 1983年(昭和58)8月5日

 

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『くしろがわ』の表示板と幣舞橋


啄木は開通間もない鉄道で小樽から釧路駅に着き、出迎えの佐藤国司の案内でこの幣舞橋を渡った。雪が五寸ほど積っていたという。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)
 

 

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2代目幣舞橋
(明治42年完成)

 啄木が渡ったのは初代の木橋
で、3代目からはコンクリになり
現在は5代目が架かっている。
  

 

 

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幣舞橋 四季の像

右側は霞む花時計

 


2 南大通二丁目

 

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『くしろ・歴史の散歩道』の歌碑


同じ意匠で計4基ある。

 

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北の海

鯨追ふ子等大いなる

流氷来るをみては喜ぶ


 所在地 釧路市南大通2-2

 
建立 1994年(平成6)1月31日

 


3 釧路市南大通 朝日生命

 

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小奴碑

 

明治四十一年日誌

二月二十二日

“釧路実業新報”の創刊祝いで鶤寅へ。


小蝶に小奴に春吉、小奴のカツポレは見事であった。

 

二月二十四日


鶤寅亭へ飲みにゆく。小奴が来た。

散々飲んだ末、衣川子と二人で小奴の家へ遊びに行つた。
小奴と云ふのは、今迄見たうちで一番活発な気持のよい女だ。
 (啄木日記)

 
 啄木が東京に行ってからの1908年(明治41)12月1日、小奴は前月結婚した夫・逸身豊之輔と上京し啄木を蓋平館に訪ねた。
 後年、母の経営していた近江屋旅館を継承し、近江ジンと名を改めた。この碑は、近江屋旅館のあった場所に建てられた。近江屋旅館は昭和37年11月に閉めた。1890年(明治23)生まれの小奴は、1965年(昭和40)2月17日、東京多摩の老人ホームで亡くなった。享年 74歳。

 

 

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小奴碑 碑文


明治四十一年一月二十一日石川啄木妻子をおいて単身釧路に来る
同年四月五日当地を去るまで釧路新聞社に勤め記者として健筆をふるえり
 あはれかの国のはてにて
 酒のみき
 かなしみの滓を啜るごとくに
当時の生活感情を啄木はこのようにうたう
当時しゃも寅料亭の名妓小奴を知り交情を深めり
 小奴といひし女の
 やはらかき
 耳朶なども忘れがたかり
 舞へといへば立ちて舞ひにき
 おのづから
 悪酒の酔ひにたふるるまでも
漂浪の身に小奴の面影は深く啄木の心をとらえ生涯忘れ難き人となれり
小奴また啄木の文才を高く評価し後年旅館近江屋の女将となり
七十有余年の生涯を終るまで啄木を慕い通せり
今 此処小奴ゆかりの跡にこの碑を刻み永く二人の追憶の記念とす


             昭和四十一年十一月
 
所在地 釧路市南大通り3-2


建立  1966年(昭和41)11月27日

 

 

 

4 釧路新聞社跡 シェルスタンド内

 

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 1983年(昭和58)「石川啄木文学コース」が設置された。そのとき建てられた六基のうちの一つ。ガソリンスタンドの一隅、売り物のタイヤの隣にがんばって建っていた。

 

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十年まへに作りしといふ漢詩


酔へば唱へき


旅に老いし友


 所在地 釧路市大町2-2 釧路新聞社跡付近
 

 建立  1983年(昭和58)8月5日
 

 「起きて見ると、夜具の襟が息で真白に氷つて居る。華氏寒暖計零下二十度。顔を洗ふ時シヤボン箱に手が喰付いた。
 日景主筆が来た。共に出社する。愈々今日から釧路新聞の記者なのだ。

 昨日迄に移転を了した新社屋は、煉瓦造で美しい。
(明治41.1.22 啄木日記)

 

 

(つづく)

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <2>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

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釧路駅前 SL動輪のモニュメント

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <2>

 

 (「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )
・写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影

 

 明治41年1月21日の夜9時半です。釧路駅に降り立った啄木は、その時の情景を見て「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」と詠んでいます。
 当時の釧路駅は現在の釧路駅より約500m南西に位置していました。ただ、この時の釧路駅は中心部から離れた郊外にあり、人家の灯りもあまりなく、夜の暗さや1月の寒さと相まって、最果ての町に来たという印象が強かったのではないでしょうか。
(釧路観光ガイド「啄木くしろ76日物語」北畠立朴)

 

 

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改札とプラットホームの境にガラス戸


 

明治41年)当時釧路町は人口15,000人、現在の北大通を中心に、ようやく橋北地方に賑やかな町並みができつつあったころ…。
(「石川啄木-その釧路時代」鳥居省三)

 

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釧路駅前(2018年)

 

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啄木の顔と歌が描かれた「啄木バス」

 路線名も「たくぼく線」

 

 

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中央図書館・道銀前 バス停(2018年)
 くしろバス・たくぼく循環線 

「釧路文学館」は、このバス停で下車する。

 

 

「釧路文学館」2018年2月3日 オープン

 

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釧路文学館ご利用ガイドより(2018年)

釧路文学館は、 2018年2月3日中央図書館6階に開設された。

 

 

 

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釧路文学館ご利用ガイドより(2018年)

 

釧路文学館ご利用ガイド

釧路文学館は、釧路ゆかりの文学に関する資料を貴重な文化的資産として後世に残すために開設されました。

  •  常設展示 このコーナーでは、「釧路文学の黎明」「昭和戦前期」「昭和戦後」「昭和後期」「平成」の5つに時代を区分し、それぞれの時代の文学活動を紹介するパネルと関連資料を展示。
  •  タッチパネル
釧路市内・釧路管内にある文学碑や小説の舞台となった場所を示す「釧路文学マップ」と、文学活動の歩みがわかる「年表で見る釧路文学の歴史」があります。

釧路市中央図書館

 085-0015北海道釧路市北大通10丁目2番1号

 TEL:0154-64-1740 / FAX:0154-64-1741

 

(つづく)

 

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <1>

 ◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

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港文館前の石川啄木像(2018年)

 

釧路 啄木22歳の新聞記者時代 - 心ときめく76日間 <1>


 (「啄木の息HP 2006年夏」からの再掲 + 2018年夏 )

・写真について 撮影年が記されていないものは2006年撮影

・歌碑めぐりの「1~25」の数字は、「くしろウォーキングまっぷ・石川啄木文学コース」(釧路観光協会 平成16年9月発行)による。

 

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啄木歌碑・記念碑マップ 釧路文学館編集(2018年)

 

 釧路は霧の街。太陽があると思っているうちに港の向こうからサーッと音立てるように濃霧がやってきました。そして、大雨。キャッツアイのように変わる天気のなか、そこここの啄木像や歌碑は濡れて乾き、また雨粒をキラキラさせていました。
 啄木は、1908年(明治41)1月21日から4月5日までの76日間釧路に滞在し、22歳の若い記者として釧路新聞の三面主任を任されました。実質的には編集長格として活躍し、月給は25円でした。「釧路詞壇」を設け、政治評論「雲間寸観」も連載しました。

 

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港文館2階から見る啄木像

釧路川の船をバックに立つ 本郷 新 制作。川向こうのフィッシャーマンズワーフも薄く見える)
  

 釧路市にお住まいの啄木研究家・北畠立朴さんの冊子によりますと、釧路市は2006年6月1日現在、盛岡市に次いで全国第二位・26基の啄木歌碑数を誇っています。
 霧の向こうに見え隠れする啄木の姿を追いながら、美しい街を歩きました
(2005年10月11日、阿寒町と合併、阿寒町の歌碑1基を含めて 26基。ちなみに2006年1月10日、盛岡市は玉山村と合併し 68基あり、全国一位)

 

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港文館2階からの釧路川と啄木像(2018年)

 

明治四十一年日誌
 一月二十一日
於釧路    
 午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗つた。程なくして枯林の中から旭日が赤々と上つた。空知川の岸に添うて上る。此辺が所謂最も北海道的な所だ。
 石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真に譬ふるに辞なき大景である。汽車は逶迤たる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半此釧路に着。
 停車場から十町許り、迎へに来た佐藤国司氏らと共に歩いて、幣舞橋といふを渡つた。浦見町の佐藤氏宅に着いて、行李を下す。秋元町長、木下成太郎(道会議員)の諸氏が見えて十二時過ぐる迄小宴。
(1908年・啄木日記)

 

 (つづく)

声のふしぎ-啄木短歌を大船渡の土地言葉に訳す-

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[ワレモコウ]


啄木短歌を土地言葉に訳す
 埼玉大学連続市民講座part9「現代社会を生きる」第3回~

  • 埼玉大学読売新聞社さいたま支局との共催による連続市民講座part9「現代社会を生きる」の第3回を9月22日(土)に開催しました。

今回は、大学院人文社会科学研究科の新井高子准教授を講師に「東北のことば、声のふしぎ-啄木短歌を大船渡の土地言葉に訳す試みから-」と題した講演が行われました。
  • 

講演では、東日本大震災をきっかけに岩手県大船渡市の仮設住宅等を会場に、石川啄木の短歌をケセン語(気仙方言)に訳すプロジェクトの取り組みについて説明の後、実際にケセン語で短歌を読み上げる映像が流れました。受講者は土地言葉に聴き入り、その語感に触れることにより、方言の魅力をそれぞれが感じ取っ ている様子が伺えました。その魅力の背景として土地言葉は、学校のすり込みや文字化を被ったことのない純粋な「声」の世界で、体の実感をもとに限りないバ リエーションがあり、ひとりひとりに、それぞれの言葉がある、それが土地言葉の姿であり豊かな声の世界であるとの解説がありました。

(2018-09-28 埼玉大学 ニュース)

啄木短歌を土地言葉に訳す~埼玉大学連続市民講座part9「現代社会を生きる」第3回を開催しました~

基調講演「石川啄木と大逆事件」大逆事件サミット 10/6

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[アケビ]

 

和歌山)大逆事件サミット、10月6日に新宮で開催

  • 今回のサミットでは、基調講演で国際啄木学会の伊藤和則さんが「石川啄木大逆事件」の題で話す。当時、東京朝日新聞に勤めていた啄木は、友人だった平出修弁護士から裁判の経過を聞き、裁判資料を借り受けて筆写するなど強い関心をもって事件に向き合っていた。講演では、平出事務所に事務員として在籍し、啄木や与謝野鉄幹らとも親交があった新宮市出身の和貝彦太郎(夕潮)についても紹介される。
  • サミットは6日午後2時から新宮市野田の市福祉センターで。入場無料。問い合わせは事務局の浜野さん(0735・21・2251)か「くまの茶房」(0735・21・1761)。(東孝司)

(2018-09-28 朝日新聞

和歌山)大逆事件サミット、10月6日に新宮で開催:朝日新聞デジタル

〈霙降る石狩の野の汽車に読みし…〉啄木

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 [ナナカマド]

 

小社会

  • 石川啄木は20代の初め、函館、札幌、小樽、釧路と北海道を転々とし新聞社に勤めながら文学を志していた。そのころの短歌に〈霙(みぞれ)降る石狩の野の汽車に読みしツルゲエネフの物語かな〉。
  • 車窓から見える広大な原生林。19世紀ロシアの作家、ツルゲーネフの小説を読んでロシアの大地もかくもありなんと連想したのか。困窮の中で一家離散し放浪する啄木。その暗くさみしい気持ちも、荒涼とした森の雰囲気にぴったり重なったのかもしれない。
  • 石狩平野の多くは今、美しい田畑に生まれ変わっている。こうなるまでに入植者たちの汗と涙が、どれだけ流されたことだろう。それを引き裂くのも自然の力。最大震度7の北海道地震
  • いつの日かまた、自然とともに生きる営みの再開を。心からそう願う。

(2018-09-25 高知新聞

小社会 高知新聞

企画展「啄木第一号歌碑建立物語」 10/2〜1/20

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[関連講演会「啄木歌碑建立の背景」 チラシ]

 

企画展詳細
 第10回企画展「啄木第一号歌碑建立物語」

  • 入館料・料金 一般:300円 高校生:200円 小中学生:100円

           ※市内に住所がある65歳以上と小中学生は無料

  • 場所 石川啄木記念館展示室 企画展示コーナー

啄木の故郷・岩手の渋民村(現盛岡市)に全国で最初に建てられた「啄木第一号歌碑」。
「やはらかに柳あをめる  北上の岸邊目に見ゆ  泣けとごとくに   啄木」
と刻まれたこの歌碑は、大正11年4月13日、啄木の没後10年の命日に建立されました。碑陰には「無名青年の徒之を建つ」とあり、東京啄木会、盛岡啄木会や地元の青年らが資金集めや歌碑の運搬作業をするなど尽力しました。
今なお多くの啄木ファンが訪れる歌碑建立の背景や意義について迫ります。

第10回企画展「啄木第一号歌碑建立物語」- 石川啄木記念館

 
〇 第10回企画展「啄木第一号歌碑建立物語」ギャラリートーク《全4回・初回は10/2》

  • 開催日・期間 平成30年10月2日(火)、10月27日(土)、 11月24日(土)、12月24日(月・祝)
  • 時間 各日とも14:00~14:30
  • 料金 無料(入館料だけで参加できます)

第10回企画展「啄木第一号歌碑建立物語」について、当館館長または学芸員がわかりやすく解説!

講座・ワークショップ- 石川啄木記念館


〇 第10回企画展関連講演会「啄木歌碑建立の背景」

  • 開催日時 平成30年10月21日(日)13:30~15:00
  • 場所 渋民公民館 2階大会議室
  • 講師 当館 主任学芸員 佐々木裕貴子
  • 料金 無料

「啄木歌碑建立の背景」をテーマに、本企画展担当の主任学芸員・佐々木裕貴子(ささき・ゆきこ)がわかりやすく紹介します。
大正11 年4 月13 日、啄木の故郷・岩手の渋民村に全国で最初に建てられた「啄木第一号歌碑」。
今もなお多くの啄木ファンが訪れるこの歌碑の建立の背景には、多くの人々の尽力がありました。
「啄木第一号歌碑」建立の背景や意義に迫ります。
啄木のあの歌碑について知りたい方、必見です!この機会にぜひご参加下さい。

  • お申込み・受付方法 当日直接会場にお越しください。